防げなかったと考えています
世の中には天才と呼ばれる人がごく少数います。ピカソに然り、エジソンに然り、イチローに然り。この天才と呼ばれる人はある能力が突出して高く、世の中に多大な功績をのこしたり、勇気や希望を与える存在でもあります。
ある能力が音楽だったら作曲家やアーティストに、ある能力が計算力だったら数学者に、ある能力がバッティングだったら野球選手に、ある能力が筋力だったら、ある能力が人を欺く力だったら、ある能力が死への探求心だったら、、、
天才と異常
天才とはある能力が異常(通常とは異なる)とも言い換えられます。しかしその能力が人から称賛される能力でなければ、単なる異常者となるわけです。(ちなみに本記事では異常という言葉はネガティブな意味を含んでいません)
この天才も含め、なにかが異常な個体というのは一定の確率で生まれるわけです。それが世の中にプラスになる異常なのか、マイナスになる異常なのかという違いがあるだけで。
そして今回の殺人事件を起こした女子高生は何かが異常な個体で、その異常性は残念ながら、世の中に貢献できる類のものではなかった。正しく言うなら、彼女一人ではその異常性を世の中に生かすことができなかったのでしょう。
彼女一人と言ったのは、この異常性を役に立つと考え導く人が近くにいれば、結果は変わっていたのかもしれません。それは父親ではなかった。1億いる日本人の中でもおそらく彼女一人しかいないであろう特異な存在を、普通の父親がどうこうできるわけはないのです。
もし死への探求心が役に立てるとすれば、医療や哲学など死を身近に感じ考える分野だと思いますが、あくまで専門家の監視下のもとでなければそれは発揮されません。もし彼女が他人を殺害しなかったとしたら、自分を殺してしまう可能性だってあったわけです。
彼女は更生できるのか
ここまで彼女を個体として扱ってきましたが、人として扱った場合果たして彼女に罪を問えるのでしょうか。問うたところで何か意味があるのでしょうか。おそらく彼女に罪の意識は皆無で、反省を促すのは不可能でしょう。
しかし残念ですが、彼女を世の中に出すのは完全に反対です。何らかの精神疾患で彼女に罪はないとしたとしても、世の中にとってあまりに危険すぎるのです。また被害者が出る確率は非常に高い。かわいそうではありますが、隔離される以外残されていないように思うのです。
異常というのはこのようなケースだけを言うのではありません。生まれつき何百万人に一人という難病を抱えて生まれ、数年の命と宣告される命だってあるわけです。これもまた異常ですが、生きている分彼女の方がまだ幾分か幸せではないかと考えれば、隔離も致し方なしではないでしょうか。さらに言うなら彼女に殺された方に比べれば、彼女の方が幸せではないでしょうか。
映画のような話ですが、もし彼女が人類初の「人を殺してしまう病気」だったとしたら。今後もこの病気を持つ人が生まれてくるとしたら、他の人の人権を守るために、特定の人権に関しては破棄した方が、結果人権を守ることにつながると考えます。
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