「安倍政権の対応は明らかに遅いですよ!」表情を作ったコメンテーターがお勤めを果たしてるのを見ながら私は「え?こんなの誰が見るの?」と思ったので、少し考えてみた。
とにかくコロナウイルス渦中のワイドショーなるものの中味が思ってた以上にヒドイ。例えばこんな具合だ。
「2m以上離れれば会話しても感染しないということですか?」
「一人10万では厳しいですよ。気前よく30万くらいは出さないと」
前者は保健所が濃厚接触者としてのタグをつける基準として定めただけで、一般人が気にすることではない。近いほどリスクは高いし、遠いほど低いとしか言いようがない。そもそもコロナウイルスが2m直進すると自壊するというデータはないし、なぜメートル法がウイルス界で採用されていると思ったのか不明。
また後者は何の根拠も示さず金額を提示していいなら僕は気前よく100兆円欲しい。もし100兆円は現実的でないという反論を受けるなら、なぜ30万なら現実的かを示す必要がある。気前ではなく論理で話すべきだろう。
メディアは馬鹿なのか?
こんな感じでかなりIQ低めのやり取りが放映されているので、SNSではメディアは馬鹿とこき下ろされてたりする。
が、これにも少し違和感を覚える。
というのもTV局のディレクターやプロデューサー、またMCのアナウンサーも高学歴のエリートで、論理がわからない人達ではないからだ。さらに言うとこんなバカげたやり取りでも見る人がいるから存続できるわけで、テレビ番組は常に視聴者に合わせて最適化されている。当然視聴率が良ければ存続し、悪ければ消える。
となればなぜワイドショーには論理が欠落しているかというと、視聴者が論理的思考を拒否しているからということになる。
要は視聴者を喜ばせようと作ったら、ものすごくバカな番組が出来上がりました!とこんな感じだ。ワイドショーの視聴者は、TV局のエリート達によって洗脳され、搾取されていることに気付かなければならないし、ワイドショーは決して視聴者の味方ではない。
きっとコメンテーター達はコメント後に「(・・・とでも言っておけばお前らは喜ぶんだろww)」と考えてるに違いない。
論理的思考の欠如
数字が読める人からすると信じられないかもしれないが、1割が何%かわからない人は結構いるし、確率の計算ができない人はもっと多い。
またデータから何かを読み取れる能力を持つ人はさらに少ないし、そのような人はデータを使わなくなるので、解釈のレベル以前に事実を認識できていないということが頻発する。
このような人たちは当然メディアが不安を煽るために作ったグラフを鵜呑みにするし、パニックに陥ったりする。グラフで重要なのは複数のデータを見比べることで、グラフ棒グラフ1枚だけでわかることはあまりに少ないし、それが全てだと思ってはいけないことを知らない。
はっきり言って論理的思考ができないと、コロナウイルスに関わらず何もかもがわからないのだ。それでもわからないままは嫌なので、コメンテーターが適当な発言に同調することで、わかったことにしてしまう。
学校の勉強は論理的思考に全振りでいいと思う
ワイドショーがこれだけ存在しているということは、つまりそれだけ論理的思考ができない人達が日本にいるということになる。これは本当に良くないし、少しショックだ。
ということで僕の提案は「学校では論理的思考のテストに合格したら、好きな教科も勉強できる仕組み」だ。はっきり言って古文読解の100万倍論理的思考の方が生きる上で大事だ。
まずこの制度のデメリットは論理的思考以外の科目の勉強時間が減ることにあるが、論理的思考の方が大事なので問題ない。そもそも勉強科目には優先順位をつけるべきだ。
また在学中に合格者と非合格者の格差が広がるという懸念点があるが、様々な科目に時間を割いた結果、論理的思考を獲得せずに卒業することの方が長い目で見て絶対に格差が広がる。
逆にこの制度のメリットは、歴史やら、英語やら、国語やら、美術やら、音楽やらがおろそかになっても、最低限の論理的思考はほぼ全員が獲得できる点にある。
色々手を出して何も身にならないより、論理詩的思考に多くの時間を使うことになったとしても、論理的思考だけは手に入れた方が絶対に良い。
そして論理的思考ができれば、他の教科の勉強効率も圧倒的に高まるし、なによりこの思考は一生使えるのだ。古文はいらないし、英語もできれば便利だがなくても生きられるし、楽譜は読めなくても困らない。学校は論理的思考の学習を最優先にするべきだと思う。